居酒屋日記⑥ 商売の神様 後編
※前編はこちら
あの客が食い逃げ?そっと振り返って様子を窺うと、彼も空気の変化を感じたのでしょう、急にかしこまった態度になり、食べかけのおでんを前に箸を置き、ズボンの尻のポケットを確認するように手を後ろに回しました。その手がそのまま汚れた上着の左右のポケットに移動し、更に上着の内ポケットまで一通りまさぐると、彼は何も持たない両手をカウンターの上で重ねて深くうなだれ、視線を自分の靴に落としたままで言いました。
「マスターごめん・・・。財布を、忘れてきたみたいだ・・・。」
白髪交じりでボサボサの伸びた髪と無精ひげに、重ね着で不自然に着膨れた衣服と汚れた爪。あらためて見れば、この客の風体は完全にホームレスでした。なぜ、今まで気づかなかったのだろう、あんなルールを決めたその日の客が「A」の大将と無銭飲食の二人とは・・・。因果応報か天罰てきめんか知らないが、自分の決意が現実に裏切られる、その容赦ないスピード感にめまいを感じながら、ヤケになった私は、おそらく開店以来最高の笑顔と明るい声でその客に応えました。「そうなんですか?じゃあ、今日はお勘定いいですよ。後で払いに来て下さい!」彼は驚いて顔を上げ言いました。「えっ、悪いなぁ・・・。」そして、私が既に注文を受けていた酒に燗をつけてカウンターに置くと、彼はもう一度、「悪いなぁ」と小さく呟きました。私は応えず、おでんの出汁を小鍋に取って火にかけ、とき卵を落として雑炊を作ると、「A」大将の、ほとんど物理的圧力を持つような視線を感じながら、一層の笑顔で彼に勧めました。「〆に食べて行ってください。今日は寒いから。」
彼が何度も頭を下げながら店を出て行き、見送った私が扉を閉め振り返ると、「A」の大将が呆れた顔で私を睨んでいます。
「よく判りましたね。流石だな。」言うと、
「当たり前だ!それより、なんで俺が教えてやったのに、その後も酒と食い物出すんだよ。あいつが本当に金払いに来ると思ってんのか。」
「いや、うちのおでんをあんなに美味そうに食べる客が初めてで、嬉しかったんですよ。」
「馬鹿!金払わなかったら客じゃないだろ!」
(なるほど、確かにそうだ。でも、そんな馬鹿の店だから、あなたもあられやピスタチオをただで食べられてるんだけどな。)
私は笑いながら「ほんとですよね。何やってんでしょうね、僕は。」言うと、彼は急に何かをこらえているような顔になり、「もういいや、勘定。まったく‥、こんな馬鹿、見た事ねぇよ!」と捨て台詞と共に席を立ち、そそくさと勘定を払って出て行きました。閉店の時間を迎え、暖簾をくぐったのはたった二人だけど、おでんと乾きものだけは結構減ったその日の最後、レジで今日の売上を打ち出し、「1800エン」と印字されたレシートを見て、私はまた一人で、声を上げて笑いました。
翌日の夕方、同じ通りにあるスナック「L」のママが、珍しく開店前に顔を出し、カウンターに座るなり言いました。
「昨日「A」の大将、うちであんたのこと話してたわよ。」
「大将、あの後「L」に行ったんですか。じゃあ、あんな馬鹿、見たことないって言ってたんじゃないですか?」
「その通りよ。でも、昨日は珍しく機嫌良くさっと飲んで、すぐ出てったわ。あの様子だと、もう一、二軒、行ったかもね。」
「まいっちゃうな。そこでも同じ話してるんじゃないかな。」
「多分ね。うちの客にも随分嬉しそうに言いふらしてたもの。でもマスター、店出してるなら、噂が立つのはいい事と思わなきゃ。あたしたちの商売はね、誰の話にも出てこなくなったら、その時が終わる時なんだからね。」
「L」ママは短い会話をしてすぐに席を立ち、その後すぐに入って来た一見の3人連れを皮切りに、その日は珍しく閉店まで客が途切れませんでした。
一か月後、私はなぜか軌道に乗った店の契約を更新し、紆余曲折はありながら、結局6年続けたこの店は現在、当時の常連の方がそのまま引き継いで、私共の得意先として営業を続けています。
今でも、あんな店がなぜ続いたのかと、疑問が頭に浮かぶその度に、この出来事も一緒に思い出すのです。
一般常識として、食い逃げの客は、警察に通報するのが正しい対応でしょう。
彼がホームレスなら、氷雨の降る夜に、公園よりも留置所で眠りたいと願っていたかもしれません。たらればを言い出せばきりがない出来事の解釈は人それぞれでも、決めた事に徹したならば、その覚悟に応じた結果は訪れるものだということでしょうか。
その年が明けてすぐ、私は「L」に顔を出し、ママに最近なんだかお客様が増えてきた事を報告しました。「だから言ったでしょ。噂になるのは悪い事じゃないって。あたしはね、あの食い逃げの客は、本当は商売の神様で、あなたの決心を試そうとしてたんじゃないかって思ってたんだから。」「へぇ…。」水割りを舐めながら、そう言われて思い出したのは、確かにあの時、私も「神様」の存在を意識していたということでした。
ただし、私の場合は、そいつが自分だけを監視強化人物として、天罰スピードアップの対象にでもしているのだろうと腹を立て、ならばそいつが愛想を尽かし、放り出すまでやってやると、罰当たりに開き直ったのでしたが。そして、正反対に思えるどちらの解釈をしても、あの時の自分は、結局同じ事をしたのだと気付き、不思議な心持ちでグラスを見つめていました。
寒い季節に飲みたいおススメ日本酒
■七賢 純米吟醸 Silky snow time 720ml
粉雪のようになめらかな冬季限定ひや酒「シルキースノータイム」
名水の里・白州にて、南アルプス甲斐駒ケ岳の伏流水で醸した純米吟醸です。
爽やかな口当たりと軽やかな吟醸香を引き出すため、丁寧な長期低温発酵管理を行いました。
丁寧な仕込みと地元の米による、キレのいい果実味と軽快な酸味を引き出しました。
きれいな甘みの優しい味わい、冬の温かい部屋の中で、冷やしてお召し上がりください。
蔵元 | 山梨銘醸 |
原料米 | 夢山水 |
アルコール度数 | 15% |
精米歩合 | 57% |
容量 | 720ml |
■栄光冨士 シルキースノータイム 辛口純米 ASTERISK アスタリスク 720ml
雪解けの様ななめらかさ。冬季限定辛口純米酒!
栄光冨士がお届けする冬の冷や酒「アスタリスク」
山形県産「出羽の里」80%磨きで、クセがなく後味のキレの良い辛口の純米酒です。
雪解けのように口の中でふわりと舞う感覚はまさにシルキースノータイム。
食中酒としてもおすすめですので、是非冬の味覚と共にキンキンに冷やしてお召し上がりください。
蔵元 | 冨士酒造 |
原料米 | 出羽の里 |
精米歩合 | 80% |
アルコール分 | 15.5% |
日本酒度 | +6.0 |
酸度 | 1.5 |
容量 | 720ml |
■金鶴 風和 純米 しぼりたて生 720ml / 1800ml
今シーズン出来立てしぼりたての新酒。
佐渡産の五百万石を使用して造られた生酒は、フレッシュで華やかな香りが特徴です。
口に含むとジューシーな旨味が口に広がります。
蔵元 | 加藤酒造店 |
原料米 | 佐渡産減肥栽培米五百万石 |
精米歩合 | 60% |
アルコール度 | 15.5% |
日本酒度 | +1.0 |
酸度 | 2.2 |
アミノ酸度 | 1.2 |
容量 | 720ml/1800ml |
代表/善波栄治
1953年に、初代・善波秀吉が麻布十番にて創業。以来、本社を東麻布に移し、東京23区を中心に飲食店様への配送やお酒の小売りを行っている。
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